2011年3月6日日曜日

世界で見る日本Part2

さて,今日も昨日に続いて 2 つのイベントをハシゴ。両方とも,メルボルンにいながらにして,日本のことを考えさせられるイベントだった。一つは僕の故郷の北海道,もう一つは住んでいる東京のことを。

まずは,メルボルン博物館へ。ここは去年行なわれた特別展「タイタニック展」を見に来たことはあるが.常設展は見てなかった。でも今日の目的は違う。午後 3 時から,アイヌ民族のパフォーマンスがあるというのである。しかも今回オーストラリアを訪問したのは,有名なエカシ(長老)である浦川治造さんを含む御一行。日本でもなかなか見られないものをこんなところで目にする機会に恵まれた。公演では,一時間以上にわたって,ムックリやトンコリなどの演奏,カムイユカラの披露,最後は会場の全員が参加しての踊りと内容も充実していた。


オーストラリア人はあまりアイヌのことを知らない(少なくとも僕の横にいた女性には僕がいろいろ説明した)ようなので,興味深いようだった。それに,アイヌとアボリジニの間には共通点も多く,日豪の先住民族として,文化交流を行なうことにも深い意義はあるだろう。

パフォーマンスを表面的に観ただけでは,アイヌの何たるか,アボリジニとどう類似していて,どこが違っているか,などはわからないと思う。ただ,今日は公演の後にドキュメンタリー映画「TOKYO アイヌ」が上映されたということなので,それを見ると,おぼろげに何かが伝わったのかもしれない。

しかし,同じように文字を持たない民族であるアイヌとアボリジニであるが,これらの民族を先住民族と認める動きはオーストラリアに比べて日本が圧倒的に遅れているように思える。歴史的には白人がオーストラリアを発見し,アボリジニを発見するより,和人がアイヌを発見した方が遥かに古いにも関わらずだ。

さて,上のドキュメンタリー映画,僕は都合により見ることができなかった。というのは,今夜はもう一つ重要な映像作品を見ることになっていたから。その映画とは,2006 年のイラン映画,ジャファール・パナヒ監督作品

『オフサイド・ガールズ』(Offside)

邦題はちょっとアレなんだが,素晴らしい作品だった。日本でも 2007 年に公開されているので観た方も多いだろう。2006 年ドイツワールドカップのアジア最終予選,イラン対バーレーンの試合が行われているテヘランのアザディ・スタジアムが舞台。スタジアムは女人禁制であるイランで,サッカー狂の女の子たちがあの手この手でスタジアムに潜り込もうとする。男装をした彼女たちが警備員につかまったり脱走したり,のドタバタを描いたコメディだが,一方でイスラムの戒律の中で女性が抱える問題を鋭く描き出した社会派の傑作である。

映画の中では,「日本人の女の子はスタジアムで試合を見られるのに」とか「私の友達が日本対イラン戦で死んだ 7 人のうちの一人だった」というようなセリフが出てくる。日本対イラン戦の試合後,興奮したイラン人サポーターが出口に押しかけ多くの死傷者が出たのだ(この事件については,こちらが詳しい。)。ちなみに,ジーコジャパンはテヘランで行なわれたアウェーのイラン戦は 2-1 で負けている。一方,この映画の舞台となったバーレーン戦でイランは勝利を挙げ,最終戦,横浜での日本との直接対決を待たずに,日本とともにワールドカップ出場を決めている。映画では,イラン代表のマハダビキアやアリ・ダエイ,カリミ,ハシェミアンらの名前も出てきて,アジアのサッカーを知る者はより楽しめる。

おっと,話がそれた。

で,この映画の監督,ジャファール・パナヒ氏の名前に見覚えのある方も多いだろう。昨年の暮れ,反体制的なプロパガンダを行なったとして,懲役 6 年,加えて 20 年間,映画製作,脚本執筆はおろか,海外への渡航,国内外のメディアのインタビューに応じることまで禁じるという判決を受けたことが報じられた。50 代の監督にとっては死刑にも等しい判決だ。彼がしたことは単に「劇映画」を撮っただけなんだが。今年のベルリン国際映画祭では,彼の解放を求めることを目的として,彼は審査委員の一人として招待されたことも記憶に新しい。今回のメルボルンでの上映も,彼の拘束に抗議する行動の一つというわけである。

しかし,日本でも,イランほどではないものの,表現を規制する不穏な動きがあることは何とも気持ちが悪い。東京都議会で可決された法案は表現そのものを規制するものではないとは言え,この波が日本国内に拡散し,拡大解釈されることで,どのような恐ろしい未来が待っているのか,ちょっと想像したくない。その意味でも,この春の都知事選は重要である。選ぶのは我々だ。心してかかれ。

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