2011年2月22日火曜日

The Four Times

変わった映画を見た。イタリア映画。ミケランジェロ・フランマルティーノ監督作品。
Le Quattro Volte

試写だったんだけど,会場の ACMI の学芸員から上映前に説明があった。セリフはほとんどない静かな映画なので,多少のイタリア語は聞こえるかもしれないが,字幕は付いていない…と。

うーん,退屈なんじゃないかねぇ。

ということで,ちょっと気合を入れてスクリーンと対峙。イタリアの山深い小さな村。山羊飼いの老人…確かに静かな映像が続く。しかし,不思議なことに何故か退屈しない。気が付くと,次に何が起こるんだろう,と頭をフル回転させながら観ている自分がいた。ちょうど,旅行で人里離れた村を訪れ,あっちに行ったら何があるだろう,とか考えながら歩いている感じ。そう,見ているうちにすっかりスクリーンの向こうの世界に入り込んでいた。

キャメラはこの街で起こる小さな事柄を基本,固定アングルで切り取っていく。こういう風に書くと,NHK 「おはよう日本」あたりの

今朝の水戸市の様子です

みたいな映像かと思われるかもしれないが,そうではない。僕の脳は時折,タイトルが何を意味するのかを考えながら映像を追いかけていた。英訳は "The Four Times"。4 つって何だ??

実は,この映画は素朴な自然と人間の交わりの様子を何気なく切り取っているように見えて,実は緻密に計算されていることに次第に気付く。ここに描かれているのは,人間,動物,植物,自然,大地,それらが織りなす命の連鎖だ。西洋に輪廻転生の思想があるのかどうかは僕は知らないし,僕自身はそういう宗教観とは無縁なので,宗教的に何を意味しているのかまで言うつもりはない。けれども,ここで描かれていることは人間の歴史でこれまで綿々と続けられてきた命の営みそのもの,そして,ここに映し出されている風景,人々の様子は過去のことではなく,現在も同じように続けられていること。そして,恐らくはこれから先も,この村では,このような自然と人間との共同作業が続けていくだろうことが暗示される。

映画はラスト,冒頭と同じような風景に回帰する。そのことがまさに,この映画のテーマそのものを,あまりにわかりやすいまでに体現していた。始まって 20 分くらいで僕の後ろにいた兄ちゃんが逃亡したが,最後まで見なくちゃぁ。最後に,なるほどね,と言って膝を打った。

僕自身も見ながらいろいろな思いを巡らせていたけれども,テーマは1本スジが通っているとしても,人によって,捉え方はいろいろだと思う。ただ,僕はやっぱり,人間がマクロな視点で観れば,自然界の部品の一つでしかないこと。そこにいる自分の存在がいかに小さいものであるのかということ,そういうことを実感した。いかに大都会で暮らしていようが,スノッブにわかったようなウンチクを並べていようが,人間も広い世界のほんの一部にすぎない。

Life is very short. 

そう,我々が過ごす時間は歴史の長さに比べれば冗談みたいに短い。自分の命が果てれば,また,いつか自分と似た人間がこの世で自分と同じようなゴタクを並べるかもしれない。そんなことを考えながら,帰りのトラムに乗った。

クイーンズランドでは今年ひどい洪水があったし,ニュージーランドではまさに今日,大きな地震が起こった。犠牲者も多かったようだ。こんなニュースも上のような僕の想いに拍車をかけた。

心が洗われる映像体験。
こういのもたまにはいい。

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