2010年11月18日木曜日

真実と虚構の間

今夜,ACMI で映画を観てきた。

ユダヤ映画祭というのをやっていて,そのうちの 1 本,"Berlin '36" という作品。勘の鋭い人は気付くかもしれないが,1936 年のベルリンオリンピックに関する映画である。

この作品は真実に基づいて製作された劇映画である。主人公は,実在のドイツ出身のユダヤ人女子走り幅跳び選手であるグレーテル・ベルクマン (Gretel Bergmann) 。

物語の大筋はこうだ。ナチスの人種差別政策などに反対して,アメリカなどがベルリン・オリンピックをボイコットする動きがあることを受けて,ナチスは反ユダヤ政策を緩めて,ドイツ選手団の中にもユダヤ人選手を含めることを検討する。ベルクマンもそのうちの一人で,オリンピックを目指す合宿に参加する。彼女は当時のもっとも優れたハイジャンパーの一人で,金メダルの有力候補。ところが,地元のオリンピックでユダヤ人に金メダルをさらわれたくないナチス側はなんとかして,彼女の対抗馬をオリンピックに送り込もうと画策する。そこでピックアップされたのが,マリー・ケッテラーという 17 歳の選手なのだが,実は彼女は男であるにもかかわらず女として育てられており,ナチス政府は,そのことを承知の上で,彼女(彼?)を女子走り幅跳び選手候補として合宿に参加させる。合宿や事前の大会では,ベルクマンとケッテラーの2人が好成績を残していたにもかかわらず,ナチスのスポーツ省は,オリンピックの直前になって,ベルクマンを「けが」を理由に代表から外す。実際の彼女はけがなど一切していないにも関わらずだ。こうしてオリンピックが開催され,スタンドからベルクマンが見つめる中,ケッテラーは最後の跳躍に臨むが…という感じ。

歴史を舞台とした友情物語としては,まぁまぁ良くできているし,実際,映画の最後には本物のベルクマンのインタビュー映像が出てきたりして(彼女はニューヨークで存命),ここで描かれていることがすべて真実であるように思われる。

ところが,いろいろ調べてみると,これがマユツバなのよね。

事実,ベルクマンは実名なのだが,マリー・ケッテラーをはじめとする他のドイツ人選手などの名前はすべて架空のもの。ケッテラーは,実際にベルリン五輪の女子走り幅跳びで4位入賞を果たし,その後男性であることがわかったドラ・ラチエン (Dora Ratjen) がモデル。ベルクマンがオリンピック直前にユダヤ人であることを理由に代表を外されたところまでは真実だろうけれども,ベルクマンとラチエンの交流,オリンピックでのラチエンの精神状態,実際に起こした行動について,映画の描写が真実であるかどうかはよくわからない。物語として良くできているだけに,真実とは遠いような気もしてくる。

事実,シュピーゲル紙がこの作品の内容が真実ではないという趣旨のルポを公表している。

もう一度,繰り返すが,この作品は真実に基づいて製作された「劇映画」である。つまり,真実そのものではなく,製作者によりある種の脚色が加えられたフィクションである。

映画としての出来は決して悪くないし,何も知らなければ,「あ~,そういうこともあるのね」と信じたい気にさせてくれる。製作者サイドがこの物語が真実であると信じて疑わないのであれば仕方ないが,そうでないなら,最後のインタビュー映像はいらないんじゃないかね?あれがなければ,歴史になぞらえたアナザー・ストーリー,ある種のパラレル・ワールド的物語として,さわやかに感動を味わえたような気がするんだが…

帰って来てから,気になって Wiki ったのが僕の敗因だったのかな?

もう一度いうけど,映画としての出来は決して悪くないし,見るに値する作品だとは思う。でも,こういう作品ってなかなか日本で上映される機会はないのかなぁ?旧同盟国としては,自戒の意味も込めて,ぜひ上映すべき作品だと思うけれど。

もし,機会があればぜひご覧あれ。歴史のダークサイドで実際にあったかもしれない物語として。

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